日本政府が奨める医薬分業の経緯

公開日: 2015年04月03日
著者: yakujiman
Yakujiman
プロフィール
  • yakujiman
  • 製薬会社の学術関連部門・薬事関連部門にて、製品の学術資料・パンフレットの作成、通知・通達のチェックと情報収集、添付文書・製品表示の原稿作成、製品広告のチェック等の仕事をしてきました薬剤師です。関連する業界の情報等を集め、管理薬剤師のためのマニュアル等の作成も行ってきました。今まで携わっていた製品は、医療用医薬品・一般用医薬品の他にも、医薬部外品・化粧品、サプリメント、衛生雑貨、試薬といった幅広い分野に渡っています。
欧米諸国がほぼ完全分業となっている中、日本の医薬分業は遅れてきましたが、ようやく最近になって分量率もあがってきています。1975年(昭和50年)には1%だった医薬分業率はここ40年で急速に伸び、2014年では約70%にまでなりました。

中世ヨーロッパで完全分業が発達した理由

医薬分業の歴史をみてみると、古くは中世ヨーロッパの1204年にさかのぼります。この年に世界初の医薬分業法が制定され、これが分業の粗と言われています。この時に診断して処方箋を書く医師と、医師の処方箋を見て薬剤を調剤する薬剤師とによる医薬分業の考え方が示され、この医薬品の相互監視という考え方がその後の欧米各国の医薬分業の発展に大きな影響を与えていきます。中世のヨーロッパでは錬金術によって化学や薬学が発展し、いろいろな化学薬品がつくれてきました。一方中世ヨーロッパでは国と国が領土拡大の名目のもと戦争を繰り返したり、国内においても王位継承争いなどが激しく起きたりして、その中でも発展してきた化学薬品を使った毒殺が横行するようになっていました。そこで毒薬をもられないように、薬を処方する人と調剤鑑査する人が分けられ、二重のチェック体制がとられるようになっていきました。こうした自分たちの命の危険という切羽詰まった状況から欧米では早くより完全分業が発達していきます。


医療費削減で進んでいった日本の分業

日本の医薬分業はどうかというと、欧米がほぼ完全分業となっているところからすると遅れていますが、遅ればせながら順調に伸びてきています。1975年以前は1%だったものの、1992年に14%となり、1997年に26%となり、2003年には50%を超え、2014年では約70%の医薬分業率になっています。しかし日本は鎖国も経験し、また欧米からは遠く離れた東洋の島国であったことから医薬分業という概念が入ってきたのは第二次世界大戦後になります。戦後、マッカーサー元帥の招待により米国薬剤師協会の使節団が日本にやってきて1949年9月に「医薬分業実施勧告」が出され、1956年に医薬分業法という法律が施行されるようになりました。しかし日本では欧米と違い、診察に続いて投薬をするのは医師であり、これが診察治療の一環であるとの習慣が根強くあり、医薬分業は思うように進みませんでした。形骸化していた医薬分業法が動き出すきっかけとなったのが、1974年10月の医療費改定でした。さらに時代が進み1980年をすぎると公的医療費として国の負担をいかに減らしていくかという問題が浮上してきました。さらにかけもち診療による薬の重複投与による相互作用や副作用も目立つようになってきたのに加え、薬価が大幅に引き下げられるようになってきました。そうなると医薬品で利益をあげていた医療機関は利益が少なくなった調剤部分を引き離していきます。結果的に国が医療費を削減するためにとった薬価引き下げや診療報酬改定などが、医薬分業を推進していく形となりました。
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